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24番 最御崎寺(ほつみさきじ)
高知県室戸市室戸岬町4058-1
最御崎寺は高知県東端の室戸岬にあり、「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。弘法大師は19歳の時、室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。大同2年、嵯峨天皇の勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねた大師は、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫って本寺を開創したとされる。
室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所の金剛頂寺を西寺(にしでら)と呼ぶのに対し、東寺(ひがしでら)と呼ばれる。
25番 津照寺(しんしょうじ)
高知県室戸市室津2652-イ
大同2年、山の形が宝珠に似ていることにちなんで、弘法大師が延命地蔵菩薩を刻み、開創したという。400年ほど前、土佐藩主山内一豊が室戸沖で暴風雨に遭ったとき、どこからともなく一人の僧が現れて船の楫をとり無事に室津の港に着けて立ち去った。衣から垂れた水跡を辿っていくと本寺の本堂の前で終わっていた。そこで本尊を拝観するとその姿が濡れており、本尊の地蔵菩薩が僧に姿を変えて船を救ったことを悟った。このことから本尊を楫取地蔵と呼ぶようになったという。通称「津寺」(つでら)と呼ばれている。
26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
高知県室戸市元乙523
土佐湾につき出した小さな岬「行当岬」の頂上にある金剛頂寺。大同2年、平城天皇の勅願により弘法大師が薬師如来を刻んで開創したとされる。室町時代には、長宗我部元親が寺領を寄進している。
27番 神峯寺(こうのみねじ)
高知県安芸郡安田町唐浜2594
神峯寺は、竹林山地蔵院と号する真言宗寺院で、本尊は十一面観音像。厳しい坂道を登る山頂近くに建ち、土佐の関所とよばれる。近世までは神仏習合の霊場として栄えた。
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山門
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境内
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本堂までの参道に続く美しい庭園
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本堂
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大師堂
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病気平癒に霊験あらたかであるという湧き水
28番 大日寺(だいにちじ)
高知県香南市野市町母代寺476-1
天平年間(729年~749年)に聖武天皇の勅願により、行基が大日如来像を刻んで堂宇を建立して開創したという。弘仁6年(815年)に弘法大師が楠の大木に爪で薬師如来像を彫って荒廃していた本寺を復興したとされる。奥の院の爪彫薬師は首から上の病に霊験ありとされ、多くの参拝者が訪れる。
29番 国分寺(こくぶんじ)
高知県南国市国分546
摩尼山と号する真言寺院で、聖武天皇が国ごとに建立を命じた国分寺の一つ。弘法大師の中興とも伝える。本堂は杮葺(こけらぶき)の清楚な建物で重要文化財に指定されている。ほかに木造薬師寺如来像二体と梵鐘も重要文化財に指定されている。
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木造薬師寺如来像二体
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庭園が美しいことでも知られる国分寺
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杮葺(こけらぶき)の本堂
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大師堂
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梵鐘も重要文化財
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山門前のお店ではオリジナル納札が販売されている
30番 善楽寺(ぜんらくじ)
高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
明治の廃仏毀釈で当山善楽寺は廃寺となり、明治9年にいち早く復興を遂げた安楽寺が、30番の万灯を絶やしてはならぬと公許を経て30番霊場の業務を代わりに行った。善楽寺は昭和5年に心ある一宮村民の尽力により無事再興され、平成6年に四国第30番は善楽寺、安楽寺は30番の奥の院と相成り現在に至る。 本堂の向かい側には、首から上の病気に利益があると言い伝えられている「梅見地蔵」 子宝祈願にご利益があると言われる「子安地蔵堂」が並ぶ。
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大きな石造りの十一面観音菩薩立像が迎える
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本堂
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大師堂
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梅見地蔵
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子安地蔵堂
31番 竹林寺(ちくりんじ)
高知県高知市五台山3577
五台山(ごだいさん)にある竹林寺。
32番 禅師峰寺(ぜんじぶじ)
高知県南国市十市3084
標高82mにある禅師峰寺は、土佐湾を一望できる。本尊の十一面観音菩薩像は、弘法大師が海上安全祈願のため彫ったとされる。山門脇には不動明王像が立つ。樹木や奇怪な岩石が多い境内は静かで奥深くい雰囲気が漂う。
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山門
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山門脇の不動明王像
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本堂(向かって左には大師堂)
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大師堂
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土佐湾を一望できる
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境内
33番 雪蹊寺(せっけいじ)
高知県高知市長浜857-3
延暦年間(782~805)弘法大師が開いたとされる。もとは「高福寺」という名だったが、鎌倉時代に「慶雲寺」と改宗された。
戦国時代、月峰和尚を中興の祖として臨済宗に改宗され、長宗我部元親の菩提寺となり、元親の法号にちなみ、「雪蹊寺」と改称された。
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山門
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奥、正面が本堂、右手が大師堂
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本堂
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大師堂
34番 種間寺(たねまじ)
高知県高知市春野町秋山72
本尾山と号する真言宗寺院。弘法大師が唐から持ち帰った穀物の種をここにまき、寺名がついたという。帰国途中の百済の仏工らが難破して漂着、帰国を祈って薬師如来を刻んだと伝える。安産にご利益があるとされる子安観音をまつり、お守りとして底の抜けた柄杓が人気。
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段差なく本堂までフラットにつながった道
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本堂
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大師堂
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安産にご利益があるとされる子安観音
35番 清瀧寺(きよたきじ)
高知県土佐市高岡町丁568-1
山の中腹にある清瀧寺、晴れた日の境内からは仁淀川、太平洋が望める。山門の天井には地下の画家久保南窓(くぼなんそう)による天井画「蛟竜図」「天女図」が描かれている。 養老7年行基菩薩が「影山密院・繹木寺」と名づけたのが初めと伝えられている。 その後、弘法大師が訪ねた弘仁年間(810〜24)ころ、一七日の修法をし、満願の日に金剛杖で岩を突くと清水が湧き出て池になり、現在の寺名に改められた。
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山門から境内へ続く石段
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山門の天井画
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大きな薬師如来立像が出迎えてくれる
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境内からの眺め
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本堂天井にある十二支方位盤
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本堂の左に大師堂
36番 青龍寺(しょうりゅうじ)
高知県土佐市宇佐町竜163
浦ノ内湾にかかる「宇佐大橋」を渡り青龍寺へ。独鈷山(とっこうざん)と号する真言宗寺院で、弘法大使がその師恵果の恩に報いるために一寺の建立を願い、唐から独鈷を投げたところ、霊地を得て開創したと伝えられる。
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山門
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山門から境内へ続く石段
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本堂
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大師堂
37番 岩本寺(いわもとじ)
高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
天平年間(729年~749年)に聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。その後、弘法大師が五社・五寺からなる福円満寺を増築。「十二福寺」として栄えたが天生の兵火によって焼失。尊快親王が弟子の尊信に命じて再興した。この時「岩本寺」と名が改められた。
38番 金剛福寺(こんごうふくじ)
高知県土佐清水市足摺岬214-1
金剛福寺は高知県西端の足摺岬にある。亜熱帯植物が繁る境内は、120,000平方メートルと広大である。弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。足摺岬の遊歩道付近には、ゆるぎ石、亀石、力の石、亀呼び場、竜燈の松、竜の駒、名号の岩の「弘法大師の七不思議」の伝説が残されている。
39番 延光寺(えんこうじ)
高知県宿毛市平田町中山390
延光寺は、「修行の道場」とされる土佐最後の霊場。伝説に関わる、梵鐘を背負った赤亀の像が置かれている。聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に行基が薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立。その後、弘法大師が日光・月光菩薩を刻んで安置して再興した。銅鐘は国の重要文化財。
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